オープニング
もし未来を予測できる数式があったら、
あなたは信じますか。
世界最高レベルの頭脳を集めた会社がありました。
動画はこちらから。
ウォール街最高クラスのトレーダー。
後にノーベル経済学賞を受賞する学者。
そんな人たちが集まった会社です。
そこには、
世界中からお金が集まりました。
そして、
わずか4年で4兆円を失います。
今日は、
なぜそんなことが起きたのかを見ていきます。
資料
LTCM(Long-Term Capital Management)は1994年に設立されたアメリカのヘッジファンドである。創業者はジョン・メリウェザー。ソロモン・ブラザーズで活躍した著名トレーダーだった。
LTCMには金融工学の第一人者たちが集まり、後にノーベル経済学賞を受賞するロバート・マートンやマイロン・ショールズも参加していた。当時としては最先端のコンピュータや数学モデルを活用し、ウォール街でも特別な存在として注目されていた。
重要なのは金融知識ではない。今回の物語で注目したいのは、「世界最高レベルの頭脳でも失敗することがある」という事実である。
また、LTCMは最初から怪しい会社だったわけではない。むしろ設立から数年間は驚異的な成功を収め、多くの投資家や金融機関から信頼されていた。
だからこそ不思議なのである。
なぜ世界最高レベルの頭脳が集まり、世界中がお金を預けた会社が、わずか4年で崩壊したのだろうか。
では、
そんな会社はいったいどうやって生まれたのでしょうか。
そして、
世界最高レベルの頭脳たちは、
なぜ同じ場所に集まったのでしょうか。
第1章 ドリームチーム結成
1990年代。
ウォール街では大きな変化が起きていました。
それまで経験や勘に頼ることが多かった投資の世界に、
数学やコンピュータを使って挑もうとする人たちが現れ始めます。
後に「金融工学」と呼ばれる考え方です。
市場の動きをデータとして分析し、
人間の勘では見つけられない法則を探す。
そんな新しい時代が始まろうとしていました。
【映像:ジョン・メリウェザーの写真】
その中心人物の一人が、
ジョン・メリウェザーでした。
彼はウォール街でも有名なトレーダーで、
すでに大きな成功を収めていた人物です。
そして1994年。
ジョン・メリウェザーは新しい会社を立ち上げます。
その名前が、
LTCM。
Long-Term Capital Managementです。
しかし、
注目された理由はジョン・メリウェザーだけではありませんでした。
LTCMには、
当時の金融業界を代表する研究者や専門家が集まり始めます。
市場を分析する人。
数学を研究する人。
コンピュータを扱う人。
それぞれの分野で高い評価を受けていた人たちです。
もしプロ野球で例えるなら、
オールスター選手を集めてチームを作るようなものだったかもしれません。
少なくとも当時の金融業界では、
そうした期待を持って見られていました。
設立から数か月。
LTCMはまだ小さな会社でした。
しかし、
この時点ですでに、
普通の投資会社ではありませんでした。
世界中の投資家や金融機関が注目する、
特別な存在になり始めていたのです。
資料
1980年代後半から1990年代にかけて、コンピュータ性能の向上や統計学の発展によって、数学を使って市場を分析する金融工学が注目されるようになった。
ジョン・メリウェザーはソロモン・ブラザーズで債券取引を担当し、大きな利益を上げたことで有名だった。LTCM設立時点で、すでに金融業界では成功者として知られていた。
LTCMにはトレーダーだけでなく、大学教授や研究者なども参加していた。当時の金融業界では珍しい組み合わせであり、「ウォール街と学術界の最強チーム」という見方をされることもあった。
ただし、この時点ではまだ誰もLTCMを伝説の会社だとは思っていない。期待は大きかったが、成功する保証はなかった。
重要なのは、この会社が最初から神格化されていたわけではなく、当時の時代背景の中で「もしかしたら投資の未来を変えるかもしれない」と期待されていたことである。
優秀な人材が集まったことは分かりました。
では、
彼らは何を武器にしていたのでしょうか。
LTCMの強さは、
人脈でも資金力でもありませんでした。
彼らには、
市場の見え方そのものが違っていたのです。
第2章 絶対に負けない数式
LTCMの武器は、
未来を言い当てることではありませんでした。
来月の株価を予想する。
景気の行方を予想する。
そうしたことではありません。
彼らが注目したのは、
市場に生まれる小さな価格差でした。
たとえば、
本来ならほとんど同じ値段で取引されるはずの金融商品があります。
ところが市場では、
時々その価格がずれることがありました。
ほんのわずかな差です。
普通の投資家なら気にも留めないような差でした。
しかしジョン・メリウェザー達は、
そこに注目します。
「この価格差は大き過ぎる。」
市場は時々、
間違った値段を付ける。
しかし、
その間違いは長く続かない。
いずれ適正な価格へ戻っていく。
そう考えていたのです。
【映像:二本の線が近付く】
もしそれが正しいなら、
高過ぎる方を売り、
安過ぎる方を買う。
そして価格差が元へ戻った時、
利益を得ることができます。
重要なのは、
人間の勘に頼らないことでした。
数学。
統計学。
コンピュータ。
人間には見えない小さな歪みを探し出し、
機械のように取引する。
それがLTCMの考え方でした。
もちろん、
市場は複雑です。
未来を完全に予測することなどできません。
しかし彼らは、
未来を予測する必要すらないと考えていました。
価格差さえ元に戻ればいい。
その一点に集中していたのです。
そして、
その方法は機能し始めます。
設立から数か月。
LTCMは最初の利益を上げます。
やがて、
その利益は偶然ではないと思われるようになっていきました。
資料
LTCMの代表的な手法は「裁定取引(アービトラージ)」と呼ばれるものである。本来は同じような価値を持つ金融商品の価格差に注目し、その差が縮まることで利益を得る。
重要なのは、LTCMが株価の予想や景気予測を主な武器にしていたわけではないことだ。むしろ予測に頼らず、価格差の修正という比較的安定した現象を利用しようとしていた。
また当時はコンピュータ性能の向上や統計学の発展によって、金融工学への期待が高まっていた時代でもある。LTCMはその象徴的な存在だった。
ただし、この時点では誰も「未来を予測する数式」を持っているとは考えていない。少なくともLTCM自身はそう思っていなかった。
彼らはもっと控えめな発想だった。
市場の小さな歪みを利用しているだけだと考えていたのである。
市場の小さな歪みを見つける。
価格差が元へ戻るのを待つ。
文章にすると、
それだけの話です。
しかし、
その「それだけ」が驚くほど上手くいきます。
そして設立から1年が過ぎた頃、
LTCMはウォール街で最も注目される会社の一つになり始めていました。
第3章 ウォール街の熱狂
LTCMは最初の年から結果を出します。
もちろん投資の世界に絶対はありません。
それでも、
その成績は市場関係者の注目を集めるには十分でした。
翌年になると、
さらに多くの資金が集まり始めます。
投資家がお金を預けます。
年金基金も資金を託します。
金融機関も取引を拡大します。
利益が利益を呼び、信頼が信頼を呼ぶ。
そんな状態になっていました。
金融専門誌はLTCMを取り上げます。
新聞も成功物語として紹介します。
数学。
コンピュータ。
金融工学。
それまで一部の専門家だけの話だったものが、
現実の利益として現れ始めていたのです。
そして1997年。
LTCMに参加していたロバート・マートンとマイロン・ショールズが、
ノーベル経済学賞を受賞します。
もちろん、
受賞したのはLTCMの運用成績ではありません。
しかし当時の人々は、
そこまで細かく区別していたでしょうか。
世界最高クラスのトレーダー。
ノーベル賞学者。
最先端のコンピュータ。
そして数年間続く成功実績。
もしあなたが当時の投資家だったら、
どう思ったでしょうか。
設立から4年。
LTCMは絶頂期を迎えていました。
世界中から資金が集まります。
銀行も巨額の融資を行います。
金融業界では、
LTCMをウォール街で最も安全な運用先の一つと考える人さえいました。
ジョン・メリウェザー達も、
自分たちの手法への確信を深めていきます。
「やはり市場は合理的だ。」
そう考えていたとしても不思議ではありません。
実際、
ここまでの数年間は、
彼らの考えが正しいことを証明しているように見えたからです。
資料
LTCMは設立直後から成功したわけではなく、数年間にわたって高い成績を維持していた。重要なのは一度の成功ではなく、成功が繰り返されたことである。
運用資産は急速に拡大し、世界中の金融機関や機関投資家が資金を預けるようになった。LTCMは単なる投資会社ではなく、金融工学の成功例として語られる存在になっていた。
1997年にはロバート・マートンとマイロン・ショールズがノーベル経済学賞を受賞する。受賞理由はLTCMの運用ではないが、世間から見れば「ノーベル賞学者が参加している会社」という印象を強める出来事だった。
この頃になると、LTCMを危険な投資先だと考える人は少数派だった。むしろ安全で合理的な運用先だと考える人の方が多かった。
重要なのは、後から笑うことではない。
当時の人々がなぜ信じたのかを理解することである。
設立から4年6か月が経過していました。
LTCMは世界中の投資家から資金を集め、銀行からも巨額の融資を受け、金融工学の成功例として新聞や専門誌で取り上げられる存在になっていました。
少なくとも当時のウォール街では、
LTCMが失敗する理由を探す方が難しかったかもしれません。
しかし1998年8月。
地球の反対側で起きたある出来事が、
その前提を根本から揺るがします。
第4章 ロシア危機
1998年8月。
ロシア政府は事実上のデフォルトに追い込まれます。
デフォルトとは、
簡単に言えば借金を返せなくなることです。
当時のロシアは財政難に苦しんでおり、
ついに市場の信頼を失いました。
ロシアはアメリカではありません。
地理的にも遠く離れています。
しかし金融市場は繋がっていました。
投資家たちは不安になります。
そして、
世界中で同じ行動を取り始めます。
危険な資産を売る。
安全な資産を買う。
ただそれだけです。
しかし、
世界中の人が同じ行動を取ると、
市場は大きく動きます。
ここでLTCMに異変が起きます。
本来なら縮まるはずの価格差が、
逆に広がり始めたのです。
しかも、
一時的な変動とは思えないほどの勢いで。
もちろんジョン・メリウェザー達も気付きます。
異常事態でした。
しかし、
彼らの見方は少し違いました。
「市場が恐怖に支配されている。」
そう考えていたのです。
これまでにも市場の混乱はありました。
そして、
そのたびに価格差は元へ戻ってきました。
今回も同じはずです。
少なくとも、
ジョン・メリウェザー達にはそう見えていました。
ところが、
価格差は戻りません。
数日が過ぎても。
数週間が過ぎても。
戻らなかったのです。
資料
ロシア危機はLTCMが直接引き起こしたものではない。当時のロシア政府が財政難に陥り、国債の支払い停止や通貨防衛の失敗によって発生した金融危機である。
重要なのは、ロシア危機そのものではなく、その後の投資家心理である。世界中の投資家がリスクを避けようとした結果、本来なら関係が薄いはずの市場まで同じ方向へ動き始めた。
ジョン・メリウェザー達は、自分たちの理論が間違っているとは考えていなかった。むしろ市場が一時的なパニック状態にあると考えていた。
実際、過去には市場が混乱した後に正常化した例も多かった。そのため当時の判断としては十分合理的だったと言える。
損失は見えていました。
危険も見えていました。
それでも、
ジョン・メリウェザー達は撤退しませんでした。
なぜなら、
彼らにはまだ勝算があったからです。
第5章 なぜ賭け続けたのか
価格差は広がり続けていました。
LTCMは損失を出しています。
その事実は、
ジョン・メリウェザー達も理解していました。
しかし、
彼らが見ていたのは損失だけではありませんでした。
彼らには、別の景色が見えていました。
価格差です。
市場の混乱によって、
価格差はこれまでになく広がっていました。
もし将来、その価格差が元へ戻るなら。
利益は以前より大きくなる。
そう考えることもできました。
実際、彼らには理由がありました。
これまで何度も成功してきたからです。
市場が混乱したこともありました。
予想外の出来事もありました。
それでも最終的には、
価格差は元へ戻ってきました。
少なくとも、
過去のデータはそう語っていました。
「市場が間違っている。」
ジョン・メリウェザー達は、
そう考えていたと言われています。
数式が間違っているのではない。
市場の方が正常ではない。
だから、いずれ元へ戻る。
そう信じていました。
その結果、LTCMは撤退ではなく、
ポジションの維持を選びます。
さらに一部では、
取引を増やす判断も行われました。
もし価格差が戻れば、
利益も大きくなるからです。
後から見ると危険です。
しかし、
当時の彼らには違って見えていました。
世界最高クラスの専門家たち。
4年以上積み上げた成功実績。
過去のデータ。
数学。
統計学。
そのすべてが、
同じ方向を指しているように見えたのです。
しかし市場は、
彼らの予想より長く、
そして大きく動き続けました。
資料
LTCMは無謀なギャンブルをしているつもりではなかった。むしろ過去の成功体験や統計データに基づいて、合理的な判断をしていると考えていた。
価格差が広がるということは、理論上は将来得られる利益も大きくなる。そのため、LTCMから見ると「今こそチャンス」と解釈できる側面もあった。
重要なのは、彼らが危険を認識していなかったわけではないことだ。問題は、何を信じるべきかという判断だった。
市場を見るのか。
過去の実績を見るのか。
数学を見るのか。
ジョン・メリウェザー達は後者を選んだ。
そしてその判断は、当時の状況を考えれば必ずしも不自然ではなかった。
設立から4年7か月。
ジョン・メリウェザー達は、
まだ自分たちの考えを信じていました。
しかし、
市場にはもう一つのルールがあります。
正しいだけでは足りない。
生き残らなければ意味がないのです。
第6章 キャッシュフロー危機
ロシア危機から数週間が過ぎても、
市場は落ち着きを取り戻しませんでした。
ジョン・メリウェザー達が期待していた価格差の縮小は起こらず、LTCMの損失は拡大を続けます。
しかし、ここで起きていた問題は単純な損失ではありませんでした。
たとえ将来利益が出る見込みがあったとしても、その日まで会社を維持するための現金がなければ事業は続けられません。
LTCMが直面し始めていたのは、まさにその問題だったのです。
損失が膨らむにつれ、取引先の銀行は警戒を強めていきます。
追加の担保を求める銀行。
取引条件を見直そうとする金融機関。
それまでLTCMを信頼していた人たちが、少しずつ距離を取り始めていました。
価格差が元へ戻るのを待つ戦いだったものが、キャッシュフローを維持する戦いへと変わり始めていたのです。
それでもジョン・メリウェザー達は、自分たちの考えを捨ててはいませんでした。
市場は恐怖に支配されている。
価格差はいずれ元へ戻る。
そう考える理由は、依然として存在していたからです。
過去の実績。
統計データ。
数年間にわたって積み上げられた成功体験。
それらは今もなお、彼らの判断を支えていました。
しかし現実には、理論が正しいことと生き残れることは同じではありません。
価格差が戻るまであと半年必要なのか。
3か月なのか。
それとも1年なのか。
誰にも分かりませんでした。
そして、その答えが出る前に現金が尽きれば、そこでゲームは終わります。
この頃になると、不安はLTCMの外にも広がり始めていました。
あまりにも多くの金融機関がLTCMと取引をしていたため、もし突然破綻すれば何が起きるのか誰にも予測できなかったのです。
ウォール街は次第に気付き始めます。
これは一つの投資会社の問題ではないのかもしれない。
そんな空気が広がり始めていました。
資料
LTCMの危機は「投資判断が外れた」という単純な話ではない。より本質的な問題はキャッシュフローだった。
企業は将来利益が出る見込みがあっても、それまでの支払いに必要な現金がなければ倒れる。黒字倒産という言葉があるように、利益と現金は別物である。
LTCMも同じだった。ジョン・メリウェザー達は理論が完全に否定されたとは考えていなかった。しかし価格差が戻る前に資金が尽きれば、その理論を証明する機会そのものが失われる。
この頃になると問題はLTCM一社の話ではなくなり、多くの金融機関が「もしLTCMが破綻したらどうなるのか」を心配し始めていた。
設立から4年7か月。
世界最高レベルの頭脳を集めた会社は、
理論の正しさではなく、
生き残れるかどうかを問われる状況に追い込まれていました。
そしてその頃、
ニューヨーク連邦準備銀行。
FRBが動き始めます。
第7章・終章 天才たちの敗北
1998年9月。
ウォール街全体が緊張感に包まれていました。
ジョン・メリウェザーは、
「価格差はいずれ縮小する」
と説明し、追加の資金調達を試みます。
しかし、
応じる投資家はいませんでした。
そこで動いたのが、
ニューヨーク連邦準備銀行でした。
FRBは主要な金融機関を集め、
LTCMへの対応を協議します。
最終的に複数の金融機関が資金を拠出し、
LTCMは即時破綻を回避することになりました。
しかし、
FRBが守ろうとしたのはLTCMではありませんでした。
もし突然破綻すれば、
金融市場全体へ影響が広がる可能性があったからです。
救済策の成立と引き換えに、LTCMは経営権を失います。
ジョン・メリウェザー達は、
もはや会社の将来を決める立場ではありませんでした。
新しい投資は認められません。
保有していた取引は整理されていきます。
利益が出るかもしれない取引も。
損失を抱えた取引も。
順番に処分されていきました。
かつて価格差の行方を議論していた会議は、
どの取引から閉じるかを決める会議へ変わります。
かつて投資家から資金を集めていた会社は、
投資家へ資金を返す会社になりました。
かつて市場の未来を考えていた会社は、
残された資産を整理する会社になりました。
LTCMは存続していました。
しかし、
そこにはもう、
設立当時のLTCMはありませんでした。
そして2000年。
LTCMは清算されます。
設立からおよそ6年。
世界最高レベルの頭脳を集めた会社は姿を消しました。
創業者ジョン・メリウェザーは、
その後も金融業界に残ります。
新たなファンドの設立にも関わりました。
しかし、
LTCMほどの成功を再び手にすることはありませんでした。
興味深いことに、
LTCMが保有していた取引の中には、
後になって価格差が縮小したものもあったと言われています。
しかし、
LTCMにはそれを確認する機会はありませんでした。
資料
1998年9月、ニューヨーク連邦準備銀行の仲介により、主要金融機関が資金を拠出し、LTCMは即時破綻を回避した。
ただし、目的はLTCMを救うことではなく、金融市場全体への影響を抑えることだった。そのため救済後のLTCMは経営権を失い、資産整理を進めることになる。
LTCMは2000年に清算された。
興味深いのは、一部の取引については後になって価格差が縮小したと言われている点である。
つまり、この物語は「数式が完全に間違っていた」で終わる話ではない。
一方で、理論が正しい可能性と、実際に生き残れるかどうかは別問題だった。
その意味でLTCMは、金融工学の成功例でもあり、失敗例でもある。
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